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17 (木)
23:57
February

Fantana di Ttevi (トレヴィの泉)

2月17日 (3日目)

この日は、超ハードスケジュールでした。

フォロ・ロマーノからコロッセオ、真実の口のサンタ・マリア・イン・コスメディン教会、ナヴォーヴァ広場にトレビの泉にパンテオン。
全部行くのは厳しいなー、と思いつつ、行けるところまで回ろうって気持ちでした。
トレビの泉は一番最後に行きました。
夕方暗くなってくる時間帯、一日歩き回ったので脳みそ働かないし、地図見て歩いても道が狭いので不安。
この辺りには、道の角に警察官が常駐するような小さなボックスがあって、その前に警察官が立っていたので、パンテオンからトレビの泉に行く間に立ってる警察官に2回道を尋ねました。
警察官は2人共親切な人で、おかげで無事に到着。

トレビの泉見えた瞬間、びっくり。 
めちゃ人多い。。


1762年に完成したトレヴィの泉は、ローマにあるもっとも巨大なバロック時代の泉です。
ポーリ宮殿の壁と一体になっています。

中央に水をつかさどるネプトゥヌス(ポセイドン)
左に豊饒の女神ケレス(デメテル)
右に健康の女神サルース(ヒュギエイア)の彫像が建っています。


後ろ向きに泉へコインを投げ入れると願いが叶うという言い伝えがあるけど、投げるコインの枚数によって願いが異なります。

1枚、再びローマに来ることができる。
2枚、大切な人と永遠に一緒にいることができる。
3枚、恋人や夫・妻と別れることができる。
3枚の願いはキリスト教が離婚を禁止していた歴史の名残りだそうです。
ここまで来てコイン3枚なんてこわいよね(笑)




思ってた以上に泉が大きくて水の色ブルーがきれいでした。
トレヴィの泉は自分の目で見ないと美しさがわからないと思う。

たくさん泉や噴水見たけどトレヴィの泉が一番魅力的で心奪われました

もちろんコイン1枚後ろ向きに投げ入れました。
 

『3日目♪コロッセオ』へ続く

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17 (木)
23:56
February

『Pantheon』 (パンテオン)

2月17日 (3日目)

パンテオンは、ミケランジェロが「天使の設計」と称賛した万神殿である。
ギリシア語の「pan」すべて「theon」神、という言葉に由来していて、かつては様々なローマ神(キリスト教が普及していなかったローマ時代にはたくさんの神々がいた)が祀られる万神殿でしたが、16世紀には神々ではなく、偉人たちを祀る建造物のことも意味するようになったそうです。

紀元前27~25年にかけて、初代ローマ皇帝アウグストゥスの腹心、アグリッパによって建造されました。
建物正面に書かれてます。
【M. AGRIPPA L. F. COS TERTIUM FECIT】
ルキウスの息子マルクス・アグリッパが3度目の執政官職において建造す

ここには現在、ララファエッロや、イタリア統一に力を尽くしたエマヌエーレ2世、ウンベスト1世らの墓があります。



初代パンテオンは、火事で焼失したため、ローマ皇帝ハドリアヌスが118年から128年にかけて再建。
現在、見ることができる、このパンテオンはバトリアヌスによって再建されたものです。


パンテオンはロトンダ広場に建っていて、ロトンダとは円形建物という意味です。
なるほどー。
パンテオンもこれまた想像以上の迫力でした。
見るものすべてスケールが大きくて溜息の連続
9時から歩き続けて7時間。。 
パンテオンを眺めながらカフェで一休み。
このホットチョコレート、半端なくクリーム状です。
チョコレートと生クリームで作ったらこんな感じ?


今日は、午前中フォロ・ロマーノにいる時間は暖かったのに、昼過ぎから雨降って、夕方に止んで、って天気。
パンテオンにいた時間は少し寒かった。。


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17 (木)
23:55
February

Piazza Navona (ナヴォーナ広場)

2月17日 (3日目)

ナヴォーナ広場に入って、広ーい。と思った。

縦長に広い空間。古代ローマ時代にここで戦車競技が行われていました。
広場中心には出店もあって賑わってた。


この広場には3つの噴水があります。
エマヌエーレ世通りから入って最初に「ムーア人の噴水」
ベルニーニデザイン。


へんな顔もあるし、口からラッパみたいに噴水が出てるのも微妙。
今までの彫刻と雰囲気が違う。
ムーア人って北アフリカのベルベル人らしいです。

中央に「四大河の噴水」(Fontana dei Quattro Fiumi)  
同じくベルニーニデザイン。
1648年~1651年完成。

ナイル川(アフリカ)、ガンジス川(アジア)、ドナウ川(ヨーロッパ)、ラプラタ川(南アメリカ)を擬人化したバロック彫刻の4人の巨人がオペリスクを囲んでます。




後ろに見えるのは「サンタニョーゼ・イン・アゴーネ教会」

その向こうに「ネプチューンの噴水」
お笑いのネプチューンってこの噴水が名前の由来かなあ?


昨日から遺跡、噴水と立て続けに見てローマすごい。。と思うばかりでした。

この後パンテオンとトレヴィの泉に行きたいので、ナヴォーナ広場は駆け足で後にしました。

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17 (木)
23:54
February

『Area Sacra/Largo di Torre Argentina』(トッレ・アンジェリーナ広場)

2月17日 (3日目)

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会からパンテオンに向かう途中、(やっぱり)道に迷った。

今、見返せばホテルでもらったイタリア地図なら、迷うことなく行けそうな感じがする。
現地地図だと通りの名前が全部書いてあるし、見やすい。
地図見せて尋ねたイタリア人から、ジャポーネの地図は見にくいわ。って、何度か言われたし。
旅最後の頃には私もイタリアで日本の地図は、わかりにくいって思うようになった。。

さて、パンテオンに向かってるはずだけど、不安で3人に道を尋ねた。
ネットで読んだ「イタリア人は親切。でも嘘を教える」って通り、尋ねた人で真逆を教えられた。
(真剣に地図見て教えた結果違っていたので、故意ではないと思います)
で、このAreaSacraの遺跡のまわりを1周半したのでした。

今歩いている道路より、3mしたほどにあるこの遺跡は、とても目を引いたけど「地球の歩き方」に載ってない。
とても惹かれたので、写真をバシャバシャ撮って、迷ったついでにゆっくり眺めました。


寒かったけどジェラード食べながら歩いた。
ジェラード食べると寒さが増すわ。。寒いよ。なんて思いながら、そこまでしてもジェラード?


帰国して、AreaSacraを調べました。
ここは共和制ローマ時代の4つの神殿の遺跡で、ポンペイウス劇場の一部もあるトッレ・アルジェンティーナ広場(Largo di Torre Argentina)でした。

この神殿は紀元前3世紀の建築。


そして、この遺跡の中にあるポンペイウス劇場の敷地内で、紀元前44年3月15日にGaius Julius Caesar(ガイウス・ユリウス・カエサル)は暗殺されたそうです。
「Et tu, Brute?」ブルートゥス、お前もか?は有名すぎる。

歴史的に有名な殺人が行われたのは、写真中央の円形になっている6本の柱の後方にあった「ボンペイウス回廊」です。




何も知らなかったのに、後方のこの部分を撮ってのが不思議だ。


カエサル暗殺には、60人以上が関与したといわれます。
そして、カエサルは23カ所を刺されていたけど、致命傷はそのうちの1カ所(胸の傷)だけだったと。


2000年以上も前の遺跡。
2000年以上も前の出来事。
ローマってすごい。

「地球の歩き方」、こんな大事な場所は載せろよ。
ていうか、私も他に読んでおくべき(笑)

次は『Piazza Navona』へ

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17 (木)
23:53
February

『Bocca della Verità』(ボッカ・デラ・ベリタ)真実の口

2月17日 (3日目)

ローマの休日でおなじみの「真実の口」は、中途半端な場所にありました。
面倒だけど行かなくては(^_^)

「真実の口」という石の彫刻は、『Santa Maria in Cosmedin 』(サンタ・マリア・イン・コスメディン教会)の外壁に飾られてます。

この彫刻は、海神トリーネの顔です。
元々は下水溝のマンホールの蓋だったそうですが、どうしたらこんな顔に・・?
トリーネは、ギリシャ神話に登場する神で深淵の使者、ポセイドンの息子です。
「ローマの休日」でグレゴリー・ペックがやってた、手を口に入れると、偽りの心がある者はその手首を切り落とされる、あるいは手が抜けなくなるという伝説があります。

ここで写真を撮るために30分くらい並びました。
並んでる中の日本人(学生ばっかり)の比率高かった。


『Santa Maria in Cosmedin 』(サンタ・マリア・イン・コスメディン教会)


『Piazza Bocca della Verità』(真実の口広場)


ここに着いた頃から雨が本格的に降り始めて少々寒くなりました。。
車が通ってないときを狙って写真撮る意欲なくてこの写真。
ていうか、この広場、交通量多かった。

この後、パンテオンに向かう途中のテヴェレ川。。


雨で川の色は濁流色。。


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17 (木)
23:52
February

Circo Massimo(チルコ・マッシモ)

2月17日 (3日目)

真実の口に行く途中で「Circo Massimo」(チルコ・マッシモ)を歩いた。

ここは、かつては10万人以上収容のローマ時代最大の円形球技場で、馬の引く戦車競技が催されてた場所です。
今は緑の野原になっていて、2006年ワールドカップ優勝の祝勝会やコンサートなどイベント会場に使われてます。


1959年公開のチャールトン・ヘストン主演の『ベン・ハー』の舞台ってので思い出があります。
小さい頃は映画って憧れだったし、遠い遠い世界だった。
 
端の方には遺跡が残ってます。
工事中で中入れないように柵があったのでよく見えなかったけど、隙間から。


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