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23 (日)
23:50
September

世界遺産「東大寺」

奈良っていえば「奈良の大仏」なので「東大寺」行ってきました。

東大寺参道は鹿がたくさんいた。多すぎだろ。




東大寺は華厳宗(けごんしゅう)大本山の寺で、金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)」が正式名称。
聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けれ、奈良の大仏として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とします。

奈良時代の東大寺の伽藍(がらん)は、南大門、中門、金堂(大仏殿)、講堂が南北方向に一直線に並び、講堂の北側には「コ」の字形に並ぶ僧房(僧の居所)。僧房の東には食堂(じきどう)。そして、南大門~中門間の左右に東西2基の七重塔が回廊に囲まれて建ってました。
745年に起工、40年近い時間を要して一通りの伽藍が完成しましたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失し、現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されています。

南大門。
これは見応えたっぷり。古くから建ってるんだなーって歴史感じる。


南大門の金剛力士像(仁王像)
これもデカかった。 (金網がじゃまで見えにくいのが残念よね)
鎌倉時代(1203年)に当時の天才的仏師(彫刻家)と約20人の弟子によって約70日間で造られ、高さ約8m、重さ約3t、頭部の中心には経典1巻が納められています。
ローマ遺跡と同様、筋肉質だ。古代ローマ人と体型は違うけど日本でも強い仁王様ともなればやはり強いカラダ。


金堂(大仏殿)
この中に大仏様が。。


東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)

野外に造られた鎌倉の大仏様の方が迫力あるなー。って思った。
大仏殿の中には他に4体の像がありました。
大仏様の両隣り。


大仏様の後方門っこには、広目天(こうもくてん)と多聞天(たもんてん)。
仏教における天部の仏で、持国天増長天と共に四天王といわれます。


広目天、梵名ヴィルーパークシャとは本来サンスクリット語で「種々の眼をした者」あるいは「不格好な眼をした者」という意味だが、「尋常でない眼、特殊な力を持った眼」さらに千里眼と拡大解釈され、広目と訳されました。

多聞天は日本では四天王の一尊として造像安置する場合に呼ばれ、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっています。
梵名ヴァイシュラヴァナという称号は本来「神の息子」という意味だが、「よく聞く所の者」という意味にも解釈できるため、多聞天(たもんてん)とも訳されます。

特にこっちの多聞天、魅入ってしまった。
右手に宝塔を捧げ持ち、左手で宝棒を握ってます。

毘沙門天。
日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表され、持物は宝塔が一般的。また、邪鬼と呼ばれる鬼形の者の上に乗ることが多い。 インドにおいては財宝神とされ、戦闘的イメージはほとんどなかった。中央アジアを経て中国に伝わる過程で武神としての信仰が生まれ、四天王の一尊たる武神・守護神とされるようになった。そして帝釈天の配下として、仏の住む世界を支える須弥山の北方、水精埵の天敬城に住み、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち北倶盧洲(ほっくるしゅう)を守護するとされる。また、夜叉羅刹といった鬼神を配下とする。
また、密教においては十二天の一尊で北方を守護するとされる。また日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、特に勝負事に利益ありとして崇められてます。

いっぱい神様がいるのねー。

大仏殿のなかでおみくじひいたら大吉 




東大寺参道わきの川や木々がきれいでした。
秋なればさらに美しいだろう。

東大寺、一番印象深かったのは、大仏ではなく上の写真のような景色と毘沙門天でした。

このあと、鹿を眺めながら春日大社へ向かいました。

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