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December

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17 (日)
23:51
April

イタリア文化週間美術館めぐり①

4月17日 12日目

イタリアは今日まで文化週間で美術館の入場料が無料なので、午後は美術館まわりの予定。

サン・マルコ美術館⇒アカデミア美術館⇒メディチ家礼拝堂⇒パラティーノ美術館の予定をたてました。
4つの美術館入場料は€25。
ざっくり3,000円、ただになっちゃうわけです。
地球の歩き方に載ってる入場料より値上がりしてる可能性あるのでもっと儲かるかもしれません。
ウッフィツィは「’11’12版地球の歩き方」に€6.5って書いてあるのに€11。
ブランカッチは本と同じ€4だった。
ウッフィツィ値上げしすぎだ。

『サン・マルコ教会』
サン・マルコ美術館はサン・マルコ教会と繋がってます。


1866年まではドメニコ会修道院だったもので2階に4畳半~の小さい部屋がたくさんありました。メディチさんの瞑想室も残っています。
修道僧であったフラ(ベアート)・アンジェリコとその弟子のフラスコ画がいっぱいです。
そのフラ・アンジェリコの「受胎告知」が2階への階段を登った正面にあります。
想像以上にとても大きな絵でした。
これかー、みたいな感じ。よくわからなくても感動♡
写真撮影禁止です。(でも警備員の目を盗んでささっと撮ってる人いましたねー)

この写真ですが1枚だけ警備員の目を盗んで撮ってしまいました。
ごめんちゃいませ。
「聖人たちのいる磔刑図」1441~1442年


中庭の回廊にもアンジェリコのフラスコ画が残ってます。
中庭は写真OK。(だと思う)


美術館前のサン・マルコ広場。人が多い。。
そして気温急上昇でとても暑くなってきた。


『アカデミア美術館』 1784年設立。
普通の建物で美術館ぽくない。
入口は予約ありと予約なしで2列に並んでました。
結構かかるかなって思ったけど12分位で入れました。
出てきたら列の長さ2倍になってた。

ここはミケランジェロの彫刻とフィレンツェ派絵画を集めた美術館です。
そして、ミケランジェロの『ダビデ像』のオリジナルがあります。
本物、すごく大きかった。
高さも4mあります。
他にもめっちゃ!大きな彫刻がいっぱい。ここも写真撮影禁止です。


『メディチ家礼拝堂』は『サン・ロレンツォ教会』の裏手に繋がってあります。
うしろに見えるががそれ。
(あまりに簡素なファザードだったので)写真とってなかった。。
メディチ家礼拝堂の内部は簡素なファザードから想像できないほどとてつもなく豪華絢爛な装飾で溢れてました。ここも写真撮影禁止。

メディチさん全盛期の17世紀に建てられた君主の礼拝堂は、数百種類もの色彩豊富な大理石と輝石で装飾されものすごく豪華だったので写真欲しかったな(T_T)

礼拝堂の中にある新聖具室は1534年に完成したミケランジェロの最高傑作の一つで制作と彫像の両方を行っています。
「曙」「黄昏」「昼」「夜」の4体の像はすごかったです。
何がー?大きさかなー?
ほんとに大きな彫像なんです。
こんな大きなもの作るって根気がいる作業だし。
描いたとおりに造るのは難しいことだと思うし。

この礼拝堂は永遠なるものを前にした人間のはかなさがテーマで、この4体の像には「永遠」が表現されています。
大きさよりもそっちに着目しましょう。
この時代の人達の考えがなんとなく伝わる礼拝堂です。

393年に設立されたサン・ロレンツォ教会は11世紀にロマネスク様式に改築して、15世紀にメディチ家の出資でさらに改築。
16世紀に当時の教皇がファザードの改修をミケランジェロに依頼したけど資金不足で実現しなかったそうです。

この辺りもあっちもこっちも人が多くてさー。
人で疲れてました。

礼拝堂を見ると15世紀から数世紀の間、フェレンツェの経済と政治の実権を握っていたメディチさん相当なお金持ちだったようです。
メディチさんは才能のある文学者でもあったので、自分のまわりに才能のある哲学者や芸術家を集めました。
ミケランジェロやポッティチェッリもメディチさんちに出入りしていました。
メディチさんはもともとは銀行家です。
メディチ家は1743年に滅亡しました。

それにしてもフィレンツェに残るメディチ家の文化遺産は、メディチ家の当時の栄華を(当時の湯水のようなお金の使い方を)物語ります。
どんだけ金持ち~(笑)

500年前かあ。。 
ローマ遺跡に比べるとまだつい最近のこととも思える。


つづく 『ヴェッキオ橋』へ
 

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2011-04-17 (日) | 蘭・西・仏・伊 2011◇イタリア編
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