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12 (木)
10:34
May

種子島のこと

種子島について勉強しようと思った。

種子島最南端の岬。
1543年(天文12年)種子島守時(1879年 - 1929年、種子島氏第27代当主)
 8月25日、漂着した国船に乗船していた3人のポルトガル人によって、日本に火縄銃が伝えられた場所。

岬の先端部は海食により、高さおよそ50メートルの断崖で、公園内に鉄砲伝来紀功碑、御崎(みさき)神社がある。[西には屋久島が見渡せる景勝地である。

御崎神社は、大国主尊彦火々出見尊を祭神とする。岬の形状が動物の尻尾を思わせることから、近世には「島尾大明神」と呼ばれた。


『種子島家御家年中行事属類雑記』の神社縁起には、「往古は潮風災害よけの守護神として島尾大明神と称し、祭礼は9月19日、神領として山神祭りの田があったが、今は百姓地で御倉入れ地となっている。祭礼の時は、村中で奉仕して白酒を造り、本国寺で満山祈祷をやり、村役以下村中の老若みな大明神に参宮し、国土安穏の古例の踊りを社殿の庭で催す」とある[4]

宝満の池
静かな池の水面には、周囲の山景が鮮やかに映り、神秘的な風景をかもしだしている。池の南は砂丘がせまっており、砂丘を越えると海である。宝満の池は、茎永層の一部が沈降し、入り江になったのち、海との間を砂丘がせきとめてできた海跡湖だといわれる。冬になると鴨などの水鳥が飛来し、湖面はにぎわう。宝満池の近くには、赤米のお田植え祭りで知られる宝満神社があり多くの伝説が残っている

千座の岩屋
南種子町平山の浜田海岸にある千座の岩屋がとっても気に入りました。
太平洋の荒波が作り出した海蝕洞窟。千人座れるほど広いことからその名がついたと言われています。干潮時には洞窟の奥まで入ることができます。
出入り口がいくつもあって中はずいぶん広い。潮の満ち加減によって洞窟内の様子が一変する。岩屋の構造は茎永層の波触岩の大洞窟で、千人もの人を一度に収容できるほどの広さから千座の岩屋といわれる。波で浸食された奇岩は見る人に感動を与え、自然の作り出すスケールの大きい芸術作品に魅了される。

メヒルギ自生地
大浦川の河口に広範囲にわたって自生するメヒルギ群生地。干潮時に訪れるとマングローブの下に多くの生き物を観察することができます。
河口に生息する小さな生き物たち。



勉強してたけど、途中でやめた。。。

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