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20 (水)
23:51
April

ブランカッチ礼拝堂

4月20日 15日目

とっても有名なフレスコ画だというので絶対見ようと思っていたのがカルミネ教会のマザッチョ。教会内のブランカッチ礼拝堂には、1400年代を通してもっとも重要なフレスコ画のシリーズが保存されてます。
この礼拝堂は、もともとフィレンツェの商人ブランカッチ家の所有であり、1424年頃フェリーチェ・ブランカッチがマゾリーノマザッチョにフラスコ画を委託して描かれることになりました。

一番有名な『貢の錢』を描いたマザッチョは27歳の若さでこの世を去りましたが、後のルネサンス絵画のあり方を決定づける方法的モデルとなる作品を残し、ルネサンス美術そのものの創設者の一人であるともみなされています。
向かって左側のフラスコ画です。


『貢の錢』 マザッチョ
イエスが「神のものは神へ、カエサルのものはカエサルへ」と言ったエピソードがあります。
一つの絵の中に異なる3つの場面が描かれています。


1427年、フィレンツェでは市民全員の資産に対し課税するという新しい税法が施行されます。
●まん中の絵は、キリストと弟子達が収税人から納税の義務を果たさないのかと詰め寄られてるシーンで、イエスは聖ペテロに、神の子には貢納の義務のないことを教えながらも、湖で魚をとるように教えています。
●左の絵では、釣れた魚の口に銀貨が入っているシーン。
●そして、聖ペテロはそれを収税人に渡す(右の絵)というシーンです。
このフレスコ画は「税金を払うことは市民として義務である」という当時の新しい思想を反映して描かれてます。

『テオフィルスの息子の蘇生と教座のペテロ』 
マザッチョ(後にフィリッピーノが描き足し)
聖ペテロの奇蹟のエピソードを表したものです。

マサッチョのオリジナルの部分には、ブランカッチゆかりの人物が描かれてましたが、1435年にブランカッチが反メディチ謀反の罪でフィレンツェを追放されたことから、それらの人物画が故意に削り取られてしまったのではという説があり、50年後にフィリッピーノがメディチ家ゆかりの人物を描き足しました。
(右から3番目の人はマザッチョです)

向かって右側のフラスコ画。


『足萎えの治療とタビタの蘇生』マゾリーノ 
これも聖ペテロの奇蹟のエピソードを表したもの。

聖書のエピソード(過去)の絵に、1400年代のフィレンツェ街の風景(画面後方の建物や中央の二人組みの貴族)を組み込むことで、過去と現在を繋げよりリアリティーをかもし出すという手法は、このブランカッチ礼拝堂のフレスコ画以降、盛んに行われるようになりました。

『ネロ帝の前の聖ペテロと魔術者シモン・聖ペテロの磔刑』 
フィリッピーノ・リッピ

右半分の絵はネロ帝に審問を受ける聖ペテロ、その後、左半分の絵に移り、聖ペテロは逆さ十字架に掛けられます。
十字架に掛けられる聖ペテロの右側の3人の人物のうち、まん中のこちら側を見ているのがフィリッピーノ(当時24歳)、右側の横向きの人物がボッティチェッリ(当時36歳)だと言われています。
一番右端のこちら側を見ている人物(左画像)も、フィリッピーノです。

『楽園追放』マザッチョ
『アダムとイヴ』 マリゾーノ

『楽園追放』はそれまでの形式的で平べったい中世の絵画から、生々しい人間の表情を描いた画期的な作品として他の画家にも大きな影響を与えました。
っていうか、思い切り裸なので日本人のわたしは最初ひきまくりでした。
でも、フィレンツェにいると感覚マヒします。
これは芸術なので。
なんにしても、3面に広がるフラスコ画は素晴らしい。のひとこと


絵は静かな中で鑑賞したい。人が少なくて良かったです。


教会回廊部分。


フラスコ画自身にも感動しますが、500年以上前に描かれた絵が今も美しいまま残り続けることに感銘します。
描いた人の魂が生き続けているようです。


とても素晴らしいフラスコ画でした。

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