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17 (木)
23:49
February

Foro Romanoの遺跡①

2月17日 (3日目)

Foro Romanoは東西約300m、南北約100mに渡って存在する古代ローマの中心部「フォルム・ロマヌム」の遺跡です。
フォロとは英語の「フォーラム」で、「都市広場」のことです。

このあたりは、カピトリーノ、パラティーノ、クィリナーレという3つの丘に囲まれた低湿地でした。
紀元前6世紀に大下水道クロアカ・マクシマが整備されたことによって利用できるようになり、古代ローマの政治・経済・司法の中心地として、紀元前6世紀ごろから293年にかけて何世紀も栄えてました。
しかし、ローマ帝国の滅亡とともにローマ神殿がキリスト教会に改築されたり、大地震・洪水などの自然災害を受けました。
中世期以降には残った遺跡が建築資材として持ち去られ、洪水のたびに土砂が堆積した結果、すっかり人々に忘れ去られてしまい、19世紀に本格的発掘が行われるようになるまでは、カンポ・ヴァッチーノ(雌牛の野)と呼ばれる家畜の放牧場になっていました。

入口から歩いてきて右に曲がると正面に見えました。
『セヴェルス帝の凱旋門』(203年)
『ウェスパシアヌスとティトゥスの神殿』
『サトゥルヌスの神殿』
『フォカスの記念柱』


この西側の遺跡群は、ヴィットリアーノ方向のフォロ・ロマーノ出口からもきれいに見えます。


『サトゥルヌス神殿』はアエラリウム(国庫)とも呼ばれ、共和制から帝政時代にかけて国家宝物庫として機能した神殿です。
初代の神殿は紀元前4世紀頃建てられ、その後紀元前30年頃に再建されたけど、283年に火災で破壊され、今ある神殿は497年に建設された3代目の神殿になります。
この神殿がとても気に入りました。
ここの写真で10枚。似たような写真ばっか。そして逆光。

『フォカスの記念柱』は、東ローマ帝国皇帝フォカスが608年に建設しました。
造営当時は柱の上に皇帝の像が設置されていたらしい。
この上に顔乗せるなんてすごい。


『ウェスパシアヌスとティトゥスの神殿』は現在3本の柱しか残っていません。
ウェスパシアヌス帝と息子のティトゥスを神格化して祭っています。
ウェスパシアヌスの死後、ティトゥス治世下の紀元79年に着工し、ティトゥスの弟が紀元87年ごろ完成させたそうです。


『Basilica Giulia Cesare』(ユリウスのバジリカ)。
サトゥルヌスの神殿、フォカスの記念柱の向かって左にが見えます。(この写真では奥に見えるけど)
カエサルが起工して、アウグストゥスが12年に完成。


フォロ・ロマーノの遺構には様々な時代のものが混在していて、この4つの遺跡だけでも古いものと新しいものでは600年ほど違います。

道を挟んで向かいにはクーリア(元老院)がある。
カエサルが起工してアウグストゥスが紀元前29年に完成したものを、皇帝ディオクレティアヌスが再建しました。
今見ている建物は20世紀にそれを復元したものなので、新しいすぎてピンとこなかった。
でもこの場所に元老院があって、共和制時代から帝政前期にかけて政治の中心だったことは事実なんですよねー。
想像してみると浪漫がある。

建物の前にサクラの木があって花が咲いてました。
その花がきれいで、そっちに目が留まって建物じゃなくてサクラ見上げてた。


ここまでで、まだ遺跡の4分の1くらい。
このペースだとこの後の予定がやばい。
でも、すっごく良いので急いでまわる気にならず。
ここまで来て、これほどの遺跡を早足でまわるなんてもったいない。

フォロ・ロマーノは、何の予備知識もなくて、すごい遺跡というだけしか知らなかった。

でも、行ってみて驚きと溜息。

ここは絶対見るべき場所です。

『Foro Romanoの遺跡②』へ続く
 

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2011-02-17 (木) | イタリア 2011年2月
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