昨日、久しぶりに「水戸黄門」を見た。
水戸黄門って結局誰?と思ってたので調べてみました。
水戸徳川家とは,常陸国水戸にあった德川氏の一子系で德川御三家のひとつである。
常陸国(ひたちのくに)とは常州(じょうしゅう)とも言われ、東海道の最遠関東地方に位置し、
水戸藩は現在の茨城県中部である。
徳川御三家とは徳川家のうち、徳川将軍家(江戸幕府の征夷大将軍を世襲した徳川家の宗家)に次ぐ地位の3家のこと。
尾張徳川家 徳川義直(徳川家康の9男)
紀州徳川家 德川頼宣(徳川家康の10男)
水戸徳川家 德川頼房(徳川家康の11男)1606年常陸国下妻10万石を与えられ家を興す。
水戸黄門は水戸藩第2代藩主である。
初代頼房の三男で徳川家康の孫にあたり、德川一門の長老として将軍綱吉期には幕政にも影響力を持っていた。隠居後に水戸藩領内を巡視した話などから諸国漫遊がイメージされたと思われるが、実際の光圀は日光、鎌倉、金沢八景、房総などを訪れた記憶しかなく現在の関東地方から出た記録はない。
現代ではTVドラマの影響もあって水戸光圀公を「水戸黄門」と呼ぶが、「水戸黄門」とは水戸藩主で中納言、権中納言に任命された「水戸中納言」唐名(漢風名称)である。
光圀のほかに6人任命されているので水戸黄門は7人いたことになるが、一般に「水戸黄門」といえば水戸光圀公を指す。
結論、水戸黄門とは徳川家康の孫でした。ちゃんちゃん
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