アヴィニョンにはフランス国鉄駅が二つあります。
「アヴィニョン中央駅」と「アヴィニョンTGV駅」
TGV発着のアヴィニョンTGV駅まではバスで移動。
アヴィニョン中央駅正面の城壁門入ってすぐ左にバスターミナルがあります。
真ん中に郵便局⇒黄色いマークでわかりました。
アルルに行った日、この郵便局から、日本へ荷物を送りました。
まともな英語も話せず、郵便局員も英語をあまり話せず、そんな中でも何とかなるものです。
旅行っておもしろい(笑)
行先ごとのバス乗車位置の案内も、わかりやすく表示されてます。
アヴィニョンTGV駅までのバスは、20分に1本くらいありました。
バスのチケットですが、スペインもイタリアも、バスやメトロチケットは事前購入が必須なのでどこで買えばいいか探したけど、わからなかった。
タバツキもないし。。
悩みましたが、このバスは日本みたいにお金を払って乗車できます。
でも、細かいお金を持ってないとお釣りがないときは乗車拒否されるそうです。
もちろん、バスカードもあります。
(どこで買うかわからないけどご参考までに)
バスは予定通りに発車。
10分でTGV駅に着きました。
着いたけど国際列車が停まる駅には思えない長閑さ。
アヴィニョンTGV駅は広くてきれいだったけど、お土産屋があって時間がつぶれるって言うのとは違った。
ショップで切手を買って外のポストから投函。
フランスのポストは、赤じゃなくて黄色。
このポストカードは10日目に日本に配達されました。
行く先表示板でホームを確認して2階に上がりました。
2階はホームに沿って縦長。
天井の形が特徴的な駅です。
その外側が乗車ホーム。
ほんと長閑だった。
車両番号も確認して待ちまーす。
ちゃんと乗れるかしら?
少しドキドキ。
2階建てのTGVが到着。
ラッキーなことに座席は2階の窓際。
ウレシイ(^_^)
勝手に座ってた今どきの若い外人の男の子に、そこは私の席です。と言ってどいてもらいました。
よく言えた。
昔だったら言えなかったです。
どんどん強くなってる自分に拍手

でも、2階から見る景色がすごく違うってわけでもなくって、ホームで止まると高いなって思うくらいでした。
パイレーツの看板が並んでました。
フランスでも大ヒット上映中らしい。
1時間10分で予定通りにリヨン・パールデュー駅着。
楽しいTGV鉄道の旅でした。
『教皇庁宮殿』はヨーロッパ最大のゴシック様式の殿堂。
14世紀には教皇の住まいでした。
入場料€8.5を払って中を見学。
入場料高いけど、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、スペイン、ロシア、オランダ、中国、日本語の9か国語対応のオーディオガイド付き。
英語わからないからガイドは必要ないです。って言ったら、日本語あるって言われて驚いた。
マルチ~(笑)
日本語も入ってるなんて嬉しい。
「サン・マルシャル礼拝堂」に残るフラスコ画。
天井部分は、きれいなまま残ってました。
アヴィニョンに法王庁が置かれた68年間。
68年間の間、即位したのは7人の法王で、この宮殿の建設は、3代目のベネディクト12世が始めました。
ベネディクト12世が庶民の出で清貧を好んだのに対して、4代目のクレメンス6世は貴族出身で贅沢好みだったので、タイル装飾やフラスコ画で飾った豪華な部屋を増築したそうです。
ここは教皇の部屋。
壁の模様もさることながら、床のタイルがとっても美しかった。
贅沢。。
このフラスコ画、くっきりきれいなまま。
ここは教皇の私的空間であったそうです。
横たわる彫刻の足元にペットも。
この時代から、ヨーロッパではペットは家族だったのね。
その他に、執務室や台所、貯蔵庫や大講堂などたくさんの部屋がありました。
昔の栄華が良く伝わりました。
料金分満足(*^_^*)
宮殿屋上から見た、教皇庁広場とアヴィニョンの街。
このあと、バスでアヴィニョンTGV駅に移動するまでの時間、カフェでゆーっくりしてました。
チップいくら置いてるかなーとか、人間ウォッチングしながら(笑)
外国ではカフェのウエイターが立派な仕事に見えます。
っていうか立派な職業だと思えます。
日本のコーヒーショップやレストランは、バイトのお姉ちゃんかパートの女性が注文とって持ってくるだけだけど、外国のカフェは違うーなーんて思いながら、甘ったらしいレモンケーキ食べました。
ほんとに甘い。
でも美味しかった

今日はアヴィニョン観光して、夕方TGVでリヨンに移動する予定。
サン・ベンゼ橋と法王庁宮殿を見て、プチ・パレ美術館に行くつもりだったけどやめにしました。
毎日いろんなものを見て、感動して、今まで知らなかった新しいことを知って、すでにお腹いっぱい。
残り2週間の旅、フルで見てると気持ちがもちそうにない(笑)
美術館は、フィレンツェでたくさん行くつもりなので、今日はゆっくりまわって、カフェでのんびり街を眺めた方が気持ちに合ってると思ったのでした。
そして、この日以降、カフェでのんびり❤の時間は急激に増えて行くのでした。。
『サン・べネゼ橋』は、ローヌ川にかかる石造アーチ橋でアヴィニョン橋とも言われます。
1177年から1185年にかけて建設。
神から橋の建設のお告げを聞いた羊飼いの少年べネゼが、巨石を河に投げ込み礎を築いたという伝説があり名前の由来にもなっています。
当時は22のアーチで造られた橋で、戦争やローヌ河の氾濫で何度も被害を受けながら補修され使われていましたが、17世紀半ばの大洪水の後、修復されず放置されました。
今は橋の途中にあるサン・ニコラ礼拝堂(船頭の守護聖人、聖ニコラに捧げられたもの)と4つのアーチが残っています。
橋を渡る入場料は€5.5。
ここから入ります。
バルセロナは人だらけでうんだりだったけど、アヴィニョンやアルルは観光客が少なくて街を歩くのも気持ちいいし、観光しやすい。
橋をわたろうとした時、またも高所恐怖症発症。
平衡感覚がおかしくなりましたー。
入場料払ってるのに向こうまで行かないのは無念すぎるので、がんばって行ったよ(><)
こわいよって感じ。
橋の途中から眺めたローヌ川。
空の青と川の青が視界いっぱいに広がって美しかったです

橋の途中にある階段を下りて眺めたアーチ。
サン・べネゼ橋よりも橋の途中から見たローヌ川の景色が心に残りました。
青がすっごくきれいです(*^_^*)
難易度が高いと思えたフランス鉄道の自販機で見事に往復チケットを購入できた。
アルルはゴッホが過ごした町で有名です。ゴッホに興味なかったけど、なんちゃって興味を持ちました(笑)
バルセロナは観光客が多くてま夏のように暑かったけどフランス、プロヴァンス地方は観光客もまばらで暑くなく日本の初夏の過ごしやすさ。風が強くて花粉が飛び交ってる気がする。くしゃみが。。
アルルにはイタリア以外に残るもので最も規模が大きい円形闘技場があります。
古代ローマ時代のコロセウムが好きなのですが、タラゴナ、アルルの円形闘技場を続けて見れたので満足した。。
さて、今日は私が通ってるジムでコンバット60分がある日。フランス時間の午後2時から1時間、iPodを聴きながら気分はコンバット。一人で歩きながらファイヤーをした(≧▽≦)みんな、ファイヤーしてるかなー、とか思いながら。。
楽しかった(笑)
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは1888年からの1年余りをアルルで暮らしました。
パリでの生活に疲れ切ったゴッホが南フランスの明るい光を求めてアルルに着いたのは1888年2月。
5つ年上の先輩画家ゴーギャンとの共同生活が数カ月で終わり、ゴッホは躁鬱病のようになってしまったそうです。
広場を歩いてるゴーギャンに剃刀を持って襲いかかったり、ゴーギャンから自画像の耳の形がおかしいと言われると自分の耳を切り落として女友達に届けるという奇行を始め、彼を恐れた市民の要請で私立病院に収容されたのでした。
ゴッホが入院してた市立病院は現在「エスパス・ヴァン・ゴッホ」という文化施設になってます。
入口の看板が目立たないので気付かず最初通り過ぎてしまった。
中庭の色彩が鮮やか。とってもきれいな庭でした。
120年前にゴッホが描いた絵「アルルの療養所の中庭」と変わってない。
この場所でこの絵を描いてたと思うと120年前にタイムスリップしそう。
ゴッホの絵がたくさん売られてます。
続いて「夜のカフェテラス」を描いたフォーラム広場へ。
この広場は紀元前20年代頃に建造された最初の大規模な都市施設で、カエサルの庇護に感謝する目的で作られました。
世界遺産「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の一部です。
市立病院に入院した翌年5月、サン・レミの精神病院に転院したゴッホは激しい発作に見舞われながらも絵を描き続けたそうです。
そして翌1890年7月、パリ郊外の麦畑でピストル自殺を図り37歳の若さで生涯を閉じます。
27歳からの10年間で残した作品は2000点以上。
今の時代でゴッホは有名で高く評価されてますが、彼が生きてる間に売れたのはたった1枚で、多くの人に贈った絵は鳥小屋の風よけや銃の練習用の標的になっていたそうです。
傑作とされる作品のほとんどが晩年の約2年半(1888年2月~1890年7月)アルルで暮らし始めてから制作されたもの。
ゴッホは名前しか知らなかったけど、アルルに来てゴッホのことを知って良かった。
アルル日帰り観光。
12時に着いて17時頃の鉄道でアヴィニョンに帰りました。
アルル、小さいけどローマ時代から中世までの長い歴史を感じることができる美しい街でした

4月12日 7日目 FRANCE
アルルには、現在イタリア以外に残るローマ闘技場の中で最も規模が大きい、
1世紀末頃に建造された円形闘技場があります。
剣闘士の闘技が5世紀のキリスト教流入により廃止されたあとは、石が切り出されたり内部に家が建てられ要塞の姿に変わって行きましたが、現在は本来の姿に修復され夏から秋にかけては闘牛も開催されてます。
四角にひときわ高い塔は要塞時代の名残である見張り塔。
8世紀にアルルを占領したアラブ人が増築したもので、サラセンの塔と呼ばれてます。
一階部分の内側の通路。ひんやりしてた。
観光客ほとんどいません。
孤独で暗くてちょっと怖いかな。
同じ一階でも外側の通路は光が入って明るい。
2階に登ると明るくて見晴しが良い。
人いないし完全な貸切状態でした。
誰もいなくて楽しい。
内部は工事中で工事の人がいました。
今も闘牛が行われてるなんて知らなかった。というかフランスでも闘牛があるのね。
高所恐怖症なのでこの高さでもドキドキ。
もっと高い場所間まで登りたかったけど断念。。
円形闘技場を眺めながらカフェで休憩
ローマのコロッセオ見て、
ポンペイの円形闘技場(現存する最古のもの)見て、
タラゴナの円形闘技場見て、
ここアルルの円形闘技場見て、
この数カ月で4つの円形闘技場を見れて満足。。なーんて思いながらピザ食べました。
グラディエーターのマキシマスから始まったコロッセオへの執着もだいぶ薄れてきたかも。
でも、映画「グラディーエーター」は変わらず大大大好きですが。
座ったときはお客さんが一人もいなかったのに食べ終わった時にはイイ感じで人が座ってた。
わたしはお客を呼ぶ人間だと思うのです。
そんな現象が度々あります(^_^)
空から見たアルルの円形闘技場。
「円形闘技場」は、「円形競技場」「円形劇場」と言われます。
ラテン語では、「amphitheatrum(アンフィテトラウム)」です。
舞台に向かって半円形の観客席を持つ形式の劇場は「ローマ劇場」「古代劇場」「円形劇場」とも言われます。
演劇のために用いられる「ローマ劇場」に対して「アンフィテアトルム」は様々な見世物のための場であり、古代ローマ領土の数多くの都市が、「アンフィテアトルム」と「ローマ劇場」の両方を備えていました。
アルルの円形闘技場は古代ローマ遺跡でありながらギリシャの影響が強いのが特徴の一つです。
古代ローマ。良い響きだわ(*^_^*)
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