フィレンツェで4泊したホテル
共和国広場からコルソ通りを西に10分くらい歩いた郵便局の隣にあります。
駅からはちょっと遠いけど徒歩圏内。
お昼に着いてしまったので、部屋の準備ができるまでフロントで10分待ちました。
部屋は小さなベランダ付き。
いいじゃん。と思ったら、シャワールームがとんでもなかった。
トイレと洗面台の間の壁にシャワーノズルがついてるだけ。
シャワー浴びようと思ったらお湯が出なくて、蛇口ひねったままにしてたら、錆色の水が。。
フロントに来てもらって、いろいろ試したけど、10分以上待って出てきたお湯はぬるくてシャワーとして使えないし、部屋のエアコンも壊れてて温風が出ない。
部屋を変えろと、夜、1時間くらいもめました。
でも、このホテル満室で他に部屋がないそうで、すごくイラっときた。
でも、共有のシャワールームが部屋の斜め前にあったのでした。
そのシャワールームは、障害者用ということでとっても広い。
でも、トイレと一緒で区切りがない。キタナイ?って心配したけど清潔でした。
ここは、新しくリフォームした設備のようで、お湯の出がすごく良い。
私の部屋は奥から2番目だったので、タオル1枚巻いてシャワールームへ行き、帰りもドアそ~っと開けて誰もいないの確認して部屋に戻る、という行き来ができて楽ちんでした。
このシャワールーム、私以外は隣の部屋の2人が使ってるだけなのでいつもキレイだった。
狭い四角のシャワーブースの中で体洗うより、この共有バスルームの方が良かったよ。
(他の部屋を見る機会があったけど設備が古くて、とっても狭いシャワールームだったので)
初日夜、シャワーとエアコンでもめたけど、翌朝の朝食でわたしの機嫌はすっかりなおりました。
素晴らしい朝食で感激
私が泊まるホテルのランクではここ以上の朝食にありつけることはないと思います。
左上に見える機械は(上にオレンジが入ってるの)スイッチを押すと縛りたての生オレンジジュースが出てコップ1杯オレンジ2個分。
毎朝2杯飲みました
みんな2杯ずつ位飲んでて、次から次にオレンジを補充してました。
オレンジ畑持ってるのかも?
ケーキやタルトが日替わりで2種類ずつ毎朝4カット食べた。
赤字じゃない?って思うくらいの品数でした。
ハムも3種類、ヨーグルトもパンもフルーツもいっぱい。
注文で淹れてくれる3種類のホットドリンクも美味しかった。
ホットチョコレート美味しかった。
ベランダあるから解放感たっぷりだったし、洗濯物を外に干せたのがまた嬉しかった。
街うろうろや観光も飽きてくる頃なので、結構部屋でまったりしてました。
フィレンツェの天気予報の人。
なんでこんな服着てるんだろう。。って毎日思ってました。
スーパーや¢99ショップもホテルから1分。
郵便局も1分。部屋の鍵かわいかった。
1泊朝食付き€49。 日本円で、5,980円。
シャワルームは揉めたけど、共有シャワーは良かったし、何より毎朝楽しみでした。
フロントや給仕の人も感じが良かったです。
心よりオススメできるホテルです。
『パラティーナ美術館』は『ピッティ宮』の2階にあり、ラファエッロの作品11点があります。
ピッティ宮はフレンツェの商人ピッティが建設したのでピッティ宮という名前。
ピッティってメディチさんの名前かと思った。その後、ヴェッキオ宮に住んでたメディチさんに売却されて現在の姿に。
パラティーナ美術館のほかに銀器博物館、近代美術館、衣装博物館、陶磁器博物館、コンサートホールもあり、まとめてピッツィ美術館とも呼ばれます。
宮殿裏にはメディチさんが妻のために造った広大なポーポリ庭園があります。
今回行ってないから次にフィレンツェに来た時には行ってみよう。(今度って?)
道路まで入場者の列が並んでたけど、意外に17分で入れました。
ラファエッロの「椅子の聖母」と「ヴェールの女」「大公の聖母」を見ておかなくては。
「ヴェールの女」1516年に書かれてる女性はラファエッロの愛人でパン屋の娘(ラ・フォルナリーナ)だそうです。
ラファエッロはこの女性を愛していたけど、ラファエロ支持者の姪との結婚話がもちかけられ、野心があったラファエッロはこの結婚を断るわけにはいかず、そのためラ・フォルナリーナとの恋愛関係を終わらせようとします。
しかし、フォルナリーナを愛していたラファエロは想い断をち切ることができず、せめて絵の中だけでも婚姻するという自己表現からこの絵を描いたとされます。
絵で婚礼用の衣装を纏っているのは人妻だというラファエロのメッセージで、彼女の表情は、結ばれない悲しみを表現していると云われます。
ヴェールの下に見える髪飾りは人妻を意味し、描かれた当初は婚姻の証である指輪がフォルナリーナの指に描かれていたけど、本作が一般に公開されることになったことから、ラファエッロ自身が指輪を隠す為に後から絵具を上塗りしたそうです。
なるほど。。哀しい恋のお話があったのね。
「小椅子の聖母」1515年は聖母マリアと幼子キリスト、聖ヨハネらしい。
「大公の聖母」1505年は、所蔵していたトスカーナ大公が、公務のときも私用のときも、片時も手放すことはなかったというほど大切にしていたことから呼ばれるようになったそうです。
中、とにかく広かったです。
メディチさんのお部屋は豪華、豪華としか言えない。
ここも写真撮影禁止。
ラファエッロ、すごいなぁ。
ヴェッキオ橋からシニュリーア広場まで歩くだけでも教会や柱が建ってます。
『サント・ステファノ教会』
この日、昼から美術館を4つまわったのでおなかいっぱい。
アンジェリコの受胎告知見たし、メディチさんの豪華な礼拝堂もみたし、ミケランジェロのダビデオリジナル見たし、ラファエッロの有名な絵画も見れたし。。
とても満足できる1日でした

4月17日 12日目
メディチ家礼拝堂を見学の後はパラティーナ美術館があるピッティ宮殿まで歩いて移動。
ルネッサンス時代がそのまま残るように街中のいたるところに芸術作品があります。
ドゥーモやシニョリーア広場を通りながら、歩けば目に留まる教会を見上げながら「フィレンツェ、すごい」ってただただ思ったのでした。
『ヴェッキオ橋』
有名な橋らしいけど、ただの橋と思ってた。
ところが、どうしてこんなに人が多いの?ってくらいに人だらけでした。
この人の多さが伝わるかなー。
橋のまんなかで歌うたってる人がいて、そこでまた人の流れが停滞気味です。
ノリがいい曲でたくさんの人が聞いてた。
っていうかここから見る夕焼けは観光ポイントだから景色見ながら聞いてる人も多し。
ヴェッキオ橋はフィレンツェ最古の橋です。
13世紀頃までは橋の上でなめし革屋や肉屋が並び異臭を放ってたのですが、自分が住むピッティ宮殿の近くに臭い市場があることを嫌ったメディチさんが市場を撤去してこキレイな宝石店が並ぶ通りにしました。
1㎞に及ぶ2階の廊下=『ヴァザーリの回廊』はメディチ家のコジモ1世がピッテイ宮に住まいを移したとき、ピッティ宮から行政局が置かれていた庁舎(現ウッフィツイぃ美術館)まで、メディチ家一族だけが通行できるようにと造られた空中回廊です。
コジモ1世は毎日、この回廊を通ってピッティ宮殿から庁舎まで通っていました。
画家であり、建築家でもあるジュルジュ・ヴァザーリが設計したもので1565年に完成。
回廊内部はルネサンス期の偉人達を含む肖像画が並んでいて、回廊の窓からはフィレンツェ市内を見下ろすことができるそうです。
当時は小さな車も通ったらしい。
自分たちのために空中に道路まで作るなんてさすがだわ。メディチさん。
メディチさん、メディチさんって書いてるけど、念の為に書いときますが、メディチさんはじいちゃんから孫から何から何代もいます。
ヴァザーリの回廊通りたかったけど、公開されてなかった。残念でした。
イタリアは今日まで文化週間で美術館の入場料が無料なので、午後は美術館まわりの予定。
サン・マルコ美術館⇒アカデミア美術館⇒メディチ家礼拝堂⇒パラティーノ美術館の予定をたてました。
4つの美術館入場料は€25。
ざっくり3,000円、ただになっちゃうわけです。
地球の歩き方に載ってる入場料より値上がりしてる可能性あるのでもっと儲かるかもしれません。
ウッフィツィは「’11’12版地球の歩き方」に€6.5って書いてあるのに€11。
ブランカッチは本と同じ€4だった。
ウッフィツィ値上げしすぎだ。
『サン・マルコ教会』
サン・マルコ美術館はサン・マルコ教会と繋がってます。
1866年まではドメニコ会修道院だったもので2階に4畳半~の小さい部屋がたくさんありました。メディチさんの瞑想室も残っています。
修道僧であったフラ(ベアート)・アンジェリコとその弟子のフラスコ画がいっぱいです。
そのフラ・アンジェリコの「受胎告知」が2階への階段を登った正面にあります。
想像以上にとても大きな絵でした。
これかー、みたいな感じ。よくわからなくても感動♡
写真撮影禁止です。(でも警備員の目を盗んでささっと撮ってる人いましたねー)
この写真ですが1枚だけ警備員の目を盗んで撮ってしまいました。
ごめんちゃいませ。
「聖人たちのいる磔刑図」1441~1442年
中庭の回廊にもアンジェリコのフラスコ画が残ってます。
中庭は写真OK。(だと思う)
美術館前のサン・マルコ広場。人が多い。。
そして気温急上昇でとても暑くなってきた。
『アカデミア美術館』 1784年設立。
普通の建物で美術館ぽくない。
入口は予約ありと予約なしで2列に並んでました。
結構かかるかなって思ったけど12分位で入れました。
出てきたら列の長さ2倍になってた。
ここはミケランジェロの彫刻とフィレンツェ派絵画を集めた美術館です。
そして、ミケランジェロの『ダビデ像』のオリジナルがあります。
本物、すごく大きかった。
高さも4mあります。
他にもめっちゃ!大きな彫刻がいっぱい。ここも写真撮影禁止です。
『メディチ家礼拝堂』は『サン・ロレンツォ教会』の裏手に繋がってあります。
うしろに見えるががそれ。
(あまりに簡素なファザードだったので)写真とってなかった。。
メディチ家礼拝堂の内部は簡素なファザードから想像できないほどとてつもなく豪華絢爛な装飾で溢れてました。ここも写真撮影禁止。
メディチさん全盛期の17世紀に建てられた君主の礼拝堂は、数百種類もの色彩豊富な大理石と輝石で装飾されものすごく豪華だったので写真欲しかったな(T_T)
礼拝堂の中にある新聖具室は1534年に完成したミケランジェロの最高傑作の一つで制作と彫像の両方を行っています。
「曙」「黄昏」「昼」「夜」の4体の像はすごかったです。
何がー?大きさかなー?
ほんとに大きな彫像なんです。
こんな大きなもの作るって根気がいる作業だし。
描いたとおりに造るのは難しいことだと思うし。
この礼拝堂は永遠なるものを前にした人間のはかなさがテーマで、この4体の像には「永遠」が表現されています。
大きさよりもそっちに着目しましょう。
この時代の人達の考えがなんとなく伝わる礼拝堂です。
393年に設立されたサン・ロレンツォ教会は11世紀にロマネスク様式に改築して、15世紀にメディチ家の出資でさらに改築。
16世紀に当時の教皇がファザードの改修をミケランジェロに依頼したけど資金不足で実現しなかったそうです。
この辺りもあっちもこっちも人が多くてさー。
人で疲れてました。
礼拝堂を見ると15世紀から数世紀の間、フェレンツェの経済と政治の実権を握っていたメディチさん相当なお金持ちだったようです。
メディチさんは才能のある文学者でもあったので、自分のまわりに才能のある哲学者や芸術家を集めました。
ミケランジェロやポッティチェッリもメディチさんちに出入りしていました。
メディチさんはもともとは銀行家です。
メディチ家は1743年に滅亡しました。
それにしてもフィレンツェに残るメディチ家の文化遺産は、メディチ家の当時の栄華を(当時の湯水のようなお金の使い方を)物語ります。
どんだけ金持ち~(笑)
500年前かあ。。
ローマ遺跡に比べるとまだつい最近のこととも思える。
今日は朝8時25分のESでフィレンツェへ移動です。
所要時間2時間50分。€68。高いです。
もう少し遅い便にしたかったけどこの後は2本ともミラノ乗り換え便で4時間かかるので、朝早い移動になりました。
チケットはトリノに着いた当日に自販機で購入済み。イタリア国鉄の自販機はもう楽勝。
隣で買ってるイタリアンじゃない外人よりも早く買えるようになりました(自慢)
トリノ、ポルタ・ヌオーヴァ駅。
駅には見えないおしゃれな外観です。
どこの駅もほとんど同じ作りです。
イタリア国鉄最速のEC、ユーロスターです。
でも狭いです。
全席指定でところどころ空席が目立つのに、わたしが座った4人席は3人座ってました。
窮屈だったあ。。
ボローニャ駅からたくさん人が乗って来た時、日本語が聞こえてきました。
その時は日本人だーって思うだけでしたが、その後、前と後ろから入ってきた人が座席を探して通路途中で立ち往生になったときのこと。
「なんだ、後ろの方なら後ろから入ってくればいいのに、席の場所もそれもわからないのか」
「見るからに田舎者ものね」
日本語わかる人いないから良いけど(笑)
どんな人よ?
振り向いて見てみたら、さっきまで日本のスーパーで買い物してたような老夫婦だった。
だけど、おじさまの手にはイタリア語の新聞が。
傲慢トークに参りました(笑)やるねー
あんな事言ってたからどんな日本人と思って話しかけてみたら、感じいい方たちでした。
北海道からご夫婦で個人旅行だそうです。
しっかり手を繋いで仲が良い。
フレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅は終点駅。
駅の中にもフラスコ画が描かれていた。
さすが、フィレンツェだわ。
駅前の道も広いし、人が多そう。
(この後、観光客がとても多い事を嫌と言うほど知らされました)
駅前にドーンとマック。
マックはどこでもあるなー。
時間はまだお昼12時前。
今日は一日長そうです(^_^)
さて、ホテルまで歩こう。
トリノ市街を見下ろす丘の上にスペルガ聖堂があります。ここは1949年にACトリノの選手監督31名が飛行機事故で亡くなったスペルガの悲劇で有名です。
下調べの鬼の私がここだけはよく調べてなかった。
バスと登山鉄道に乗って行くのだけどわかっているのは降りるバス停の名前だけで何分かかるか何番目かは全然知らない。バスだからアナウンスないし、降りる前にチャイム押さなきゃいけないし。ヤバいかも。。と思ったけど最初に話したニコラス・ケイジをすごくかっこよくした外人が登山鉄道駅まで連れて行ってくれました。
良かった♪うまくいくようにできてる(*^_^*)
さて、旅慣れしてきた私はなぜか最近外人に何かを尋ねられます。(何を聞いているかはもちろんわかりませんが)なぜ私に聞く?日本で東洋人(韓国人や中国人)が白人に尋ねるようなものでは?(笑)
明日はフィレンツェに移動します。
旅も後半。。あっと言う間。。
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