4月16日 11日目 ITALIA
1731年に完成したスペルガ聖堂は、トリノ市街を見下ろす丘の上に建っています。
ユヴァッラの傑作で1、8世紀のピエモンテ建築を代表とされてます。
青い空をバックに建つスペルガ聖堂。
教会の中は、厳粛で壮麗で美しい。。どこにいっても思います。
毎回うっとりします。
聖堂裏手には「スペルガの悲劇」の記念碑があります。
〔1949年5月4日〕ACトリノは、シーズンも残りわずかで、首位に立っていました。
ポルトガルのクラブとの親善試合を終えてイタリアに帰る途中、ACトリノの選手が乗っていたアルタリア機が、悪天候のためスペルガ聖堂の壁に激突。
監督、選手23名が死亡しました。
当時のACトリノは、イタリアのトップリーグ、セリエAで5連覇強豪クラブとして名を馳せ、ファンから"GrandeTorino"(偉大なるトリノ)と称えられてました。
1948年から始まったシーズンもエース、ヴァレンティーノ・マッツォーラを中心に好調でリーグ5連覇も目前。
トップ選手を丸ごと失ったACトリノは、リーグ戦の残りの4試合をユースチームで戦うことになりましが、"Grande Torino" に敬意を表した相手クラブも同様にユースチームで対抗し、このシーズンはそのままACトリノがスクデットがを獲得したそうです。
ACトリノはその後、クラブの建て直しが上手くいかずに成績も低迷。
セリエB降格も経験し、次のスクデット獲得までに実に27年を要しました。
この時のACトリノメンバーの大半はイタリア代表に名を連ねており、葬儀は、イギリス人監督のレスリー・リーブスリーを含むクラブの犠牲者全員を悼む国葬とされました。
そして、事故の翌年に行なわれたワールドカップに参加したイタリア代表は、チームの再建が間に合わずグループリーグで敗退しています。
(海路でブラジルまで移動したこともチームの不調に少なからず影響したといわれる)
ACトリノは1970年にトリノ・カルチョに改称し、その後2005年にクラブが破産。現在はトリノFCとして再建。
トリノのサッカーチームではユヴェントスが全国的に人気があるけど、トリノ市内及び近郊ではトリノの方が人気が高いそうです。
ローマで長々と話したマルティーニも、自分はトリノが好きなんだって熱く語ってた。
クーポラに上る階段です。料金€3。
せっかく来てるのでクーポラに上ったけど、超恐怖。即行、降りた(笑)
スペルガの丘から見たトリノの街。
良い景色でした。
フランスと同じように、茶色い屋根が連なる。
スペルガ聖堂地下には、サヴォイア家の墓所があります。
そして東側には石灰岩の山並みが広がって、イタリアでも屈指の名ワインの産地として有名。
裏手の山べりは、ブルーベリーの樹がいっぱいだった。
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