2月17日 (3日目)
イタリア語でコロッセオ(Colloseo)
ラテン語でコロッセウム(Colloseum)
英語で競技場を指す「コロッセウム」や「コロシウム」は『Colloseo』が語源である。
ここに来たいがためにイタリア旅行を決めました
フォロ・ロマーノからコロッセウムへ向かいました。
コロッセオは、70年にヴェスバシアヌス帝が着工した後、ティトゥス帝がエルサレムを征服した時に連れてきた奴隷4万人を使って8年間で完成しました。
そして、80年にティトゥス帝によってコロセウム奉献式を行われました。
最初に目に飛び込んできたコロッセオパノラマ。
その横には「コンスタンティヌス帝の凱旋門」
315年に建てられました。
が、コンスタンティヌスの時代から遡ること200年前の建築物の装飾が用いられているため、近年、この凱旋門は実は2世紀頃に建設されたものであり、コンスタンティヌスはこれを改変しただけであるとする説も提唱されています。
2世紀も3世紀も今の時代からすると、どっちもはるか昔昔の建造物。。
どの建造物を見ても最上層に彫刻が飾られていて、その彫刻を見るのが好きです。
コロッセオは、火山灰を利用したコンクリートで造られてます。
鉄骨を用いてなかったのに、AC80年からの長い年月の間の多くの地震で崩壊しなかったのは、円形で力学的に安定しているからだそうです。
下調べ通り、コロッセオのチケット売り場は行列ができていたけど、フォロ・ロマーノで共通チケットを買ってるので並んでる人を横に見ながらすぐに入れて良かった。
コロッセオに使われていた大理石は素晴らしかったので、他の建築物に流用され続け一部がなくなってます。
大理石はサン・ピエトロ大聖堂にも使われてるそうです。
天井部分は日除け用に布を張る設備もあり、皇帝席には一日中直射日光が当たらないように設計されていて、一般の観客席も一日に20分以上日光が当たらない工夫がされていたそう。
そこまで考えるなんてすごいよね。
1階の通路。
コロッセオの内部も良いけど、私は外観を眺める方が好きだ。
入場料はフォロ・ロマーノ、パラティーノの丘、コロッセオ共通で12ユーロ。(1,400円くらい)
コッロッセオ、とても好きです。
映画グラディエーターのマキシマスが好きでコロッセオが好き。
という単純な理由だったけど、この旅で映画よりもローマが好きなった。
剣闘士の戦いが好きなわけじゃないです。
奴隷に殺し合いをさせて、それを見て熱狂した時代を得てからの今の世界だから、否定はしないけど怖い時代だったと思う。
ちなみにグラディエーターとは元々は剣の名称だそう。
こんな剣で戦うなんて怖すぎる。
コロッセオ滞在時間は1時間40分。
もっといたかったけど、行きたい場所がたくさんあるので後にしました。
今からチルコ・マッシモ見ながら歩いて、真実の口に行こう。
空模様が怪しくて、降りそうだけどどってことない。
ホットドッグ?ハムサンド?みたいの食べながらローマを歩きました
2月17日 (3日目)
『ウェスタの巫女の家』
ウェスタはローマ神話に登場する女神で竈(かまど)の神です。
俗ラテン語、英語読みだと「ヴェスタ」と発音がにごります。
古代ローマでは、国は大きな家族だと考えられてました。
ウェスタは国家体制の鎮護神として崇拝され、ウェスタの巫女の仕事はウェスタ神殿の祭壇上の聖火を永遠に絶やさないように守ることでした。
そして、ウェスタ神官長 (vestalis maxima) は、女性でありながらローマで最も権威を持った聖職者とされてました。
ウェスタ神官(巫女)は貴族の少女より選ばれて、処女が義務付けられ、この規律を犯すと生き埋めの死罪が課せられたそうです。
長方形の庭のまわりに巫女たちの彫刻が並んでいます。
歩いていると、柱廊奥にあるこの彫刻が目を引きました。
ほぼ完全な形で残ってます。
巫女の家を出て見上げたらティトゥス帝の凱旋門が見えました。
まだあんなものが。。。
フォロ・ロマーノの広さ、中身、何も知らずに回っているので先が読めないのでした。
『ティトゥスの凱旋門』は現存するローマ最古の記念門で、ユダヤ戦争の戦勝記念として81年に建立されました。
この部分までの、この細やかさがすごい。。
ここまで歩くと、ティトゥスの凱旋門の向こうにコロッセオが見えました。
早くコロッセオに行きたいと思いつつも、上の方に向かう道がある。。
登るしかない。
登りきると、緑あふれる庭園でした。
『ファルネシアーニ庭園』。
広すぎる(笑)フォロ・ロマーノ。
でも登って良かった!
フォロ・ロマーノが一望、見晴し最高でした
このままコロッセオに向かいたかったけど、奥にまだ何かあるみたいなのでとりあえず歩く。
首がない彫刻がぽつんとあった。
この向こうに『パラティーノの丘』があるけど、これ以上は無理(泣)
時間が許さないのでコロッセオに向かうことにしました。
2月17日 (3日目)
フォロ・ロマーノの遺跡を知らずにローマでの日程をつくったのは大失敗でした。
遺構が多すぎて見ても見ても先がある。
今度は、最初曲がった地点に戻って反対の左側に向かって歩いた。
「ヴェスタの巫女の家」で振り返って眺めてみた。
ほんとうに神殿の遺構がたくさんあります。
『カストルとポルックスの神殿』と『ヴェスタの神殿』
『カストルとポルックスの神殿』はラテン語読み、イタリア語で『ディオスクーリ神殿』ともいいます。
紀元前495年完成。
カストルとポルックスは皇帝ではなく、共和制ローマの勝利に貢献した有能な騎手だそうです。
共和政時代には元老院の会議の場所として使われ、紀元前2世紀中ごろからは正面の階段が話者の演台として役立ったということです。
紀元前14年にフォロ・ロマーノの主要部分が火事で焼け落ちた時にこの神殿も破壊され、第2代皇帝ティベリウスが再建し完成したのは紀元6年。
現在遺跡として残っているのはティベリウスが建てた神殿の一部です。
「ヴェスタの巫女の家」の道の向かいには『アントニウス・ピウスとファウスティナの神殿』があります。
皇帝アントニウス・ピウスが、141年に没した皇后ファウスティナのために捧げた神殿で、後にアントニウスもここに葬られました。
その隣には『ロムルス神殿』
4世紀ごろの完成です。
皇帝マクセンティウスが若くして亡くなった息子の為に建設。
でも彼が戦士したため未完におわってます。
たくさんありすぎて。。
って感じもしてくる「フォロ・ロマーノ」
あそこにも何かある、あそこも。。
って感じ。
2月17日 (3日目)
Foro Romanoは東西約300m、南北約100mに渡って存在する古代ローマの中心部「フォルム・ロマヌム」の遺跡です。
フォロとは英語の「フォーラム」で、「都市広場」のことです。
このあたりは、カピトリーノ、パラティーノ、クィリナーレという3つの丘に囲まれた低湿地でした。
紀元前6世紀に大下水道クロアカ・マクシマが整備されたことによって利用できるようになり、古代ローマの政治・経済・司法の中心地として、紀元前6世紀ごろから293年にかけて何世紀も栄えてました。
しかし、ローマ帝国の滅亡とともにローマ神殿がキリスト教会に改築されたり、大地震・洪水などの自然災害を受けました。
中世期以降には残った遺跡が建築資材として持ち去られ、洪水のたびに土砂が堆積した結果、すっかり人々に忘れ去られてしまい、19世紀に本格的発掘が行われるようになるまでは、カンポ・ヴァッチーノ(雌牛の野)と呼ばれる家畜の放牧場になっていました。
入口から歩いてきて右に曲がると正面に見えました。
『セヴェルス帝の凱旋門』(203年)
『ウェスパシアヌスとティトゥスの神殿』
『サトゥルヌスの神殿』
『フォカスの記念柱』
この西側の遺跡群は、ヴィットリアーノ方向のフォロ・ロマーノ出口からもきれいに見えます。
『サトゥルヌス神殿』はアエラリウム(国庫)とも呼ばれ、共和制から帝政時代にかけて国家宝物庫として機能した神殿です。
初代の神殿は紀元前4世紀頃建てられ、その後紀元前30年頃に再建されたけど、283年に火災で破壊され、今ある神殿は497年に建設された3代目の神殿になります。
この神殿がとても気に入りました。
ここの写真で10枚。似たような写真ばっか。そして逆光。
『フォカスの記念柱』は、東ローマ帝国皇帝フォカスが608年に建設しました。
造営当時は柱の上に皇帝の像が設置されていたらしい。
この上に顔乗せるなんてすごい。
『ウェスパシアヌスとティトゥスの神殿』は現在3本の柱しか残っていません。
ウェスパシアヌス帝と息子のティトゥスを神格化して祭っています。
ウェスパシアヌスの死後、ティトゥス治世下の紀元79年に着工し、ティトゥスの弟が紀元87年ごろ完成させたそうです。
『Basilica Giulia Cesare』(ユリウスのバジリカ)。
サトゥルヌスの神殿、フォカスの記念柱の向かって左にが見えます。(この写真では奥に見えるけど)
カエサルが起工して、アウグストゥスが12年に完成。
フォロ・ロマーノの遺構には様々な時代のものが混在していて、この4つの遺跡だけでも古いものと新しいものでは600年ほど違います。
道を挟んで向かいにはクーリア(元老院)がある。
カエサルが起工してアウグストゥスが紀元前29年に完成したものを、皇帝ディオクレティアヌスが再建しました。
今見ている建物は20世紀にそれを復元したものなので、新しいすぎてピンとこなかった。
でもこの場所に元老院があって、共和制時代から帝政前期にかけて政治の中心だったことは事実なんですよねー。
想像してみると浪漫がある。
建物の前にサクラの木があって花が咲いてました。
その花がきれいで、そっちに目が留まって建物じゃなくてサクラ見上げてた。
ここまでで、まだ遺跡の4分の1くらい。
このペースだとこの後の予定がやばい。
でも、すっごく良いので急いでまわる気にならず。
ここまで来て、これほどの遺跡を早足でまわるなんてもったいない。
フォロ・ロマーノは、何の予備知識もなくて、すごい遺跡というだけしか知らなかった。
でも、行ってみて驚きと溜息。
ここは絶対見るべき場所です。
2月17日 (2日目)
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂(ヴィットリアーノ)を見た後、サンタ・マリア・イン・アラチェリ教会やカエサルのフォロを眺めながらフォロ・ロマーノに向かった。
ヴィットリアーノの下にはグラディエーターの恰好をした人が二人。
記念写真撮ったら20ユーロ以上請求されるらしいです。
(それでも写真撮りたいなら良いけど)
グラディエーターはここだけじゃなくていろんな観光地にいました。
こんな人もいた。金づくめの人はハワイにもいたけどこの顔は怖いぞ。
寄付しないで写真だけ撮ったらめっちゃ見返された。
まじ不気味な顔。
この日はまだ旅慣れしてなくて寄付する余裕なかったけど、次はお金入れようーっと。
サン・ルーカ・エ・マルティーナ教会。
どの教会もすばらしいー。
ローマはほんとに教会だらけです。
フォーリ・インペリアーリ通りをコロッセオに向かって歩きました。
歩いてるだけでいろんな遺跡が目に入ってくるので楽しくてしかたなかった。
フォロ・ロマーノの遺跡と後ろにサンタ・マリア・イン・アラチェリ教会とヴィットリアーノが見える。
コロッセオも見えてきた。
フォロ・ロマーノ入口。
人が少ないのでここでいいの?って思ったけど、今日は自分を信頼できた(笑)
昨日1日でだいぶ慣れたてきて、切符買う時のドキドキもなくなりました。
2月17日 (3日目)
ナツィナオーレ通りが大きく右に曲がるところから階段を降りると突然遺跡が見えてきた。
「Foro Traiano」 (フォロ・トライアーノ)
広大な広場、神殿、バジリカ、二つの図書館があったとされるトライヤヌス帝のフォロです。
この後、歩けば遺跡ってくらいに遺跡を目にすることになるけど、ここが初めて目にした遺跡だったので感動ものでした。
フォロ・トライアーノを過ぎるとヴェネツィア広場が。
『Monumento a Vittorio Emanuele Ⅱ』
(ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂)
俗称は『Vittoriano』 (ヴィットリアーノ)
ヴィットリアーノは1895年着工、1911年完成。
写真で見るより大きくて魅力的!
ところで、「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」って誰?と思った。
「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」は、サルデーニャ王国の最後の国王で、イタリア王国(1946年に共和制への移行によって崩壊)の初代国王です。
王は1870年の統一イタリアの象徴として国民から敬愛されたそうです。
建物の前、中央にエマヌエーレ2世の騎馬像が建ってます。
建物前面は、国家に尽くした戦士に捧げられた祭壇になっていて、ふたりの兵士が直立不動で無名戦士の墓を守っています。
ヴィットリアーノに登って眺めると、正面にまっすぐに伸びる道がコルソ通り。
ずーっとズームインして見るとコルソ通りの終点にポポロ広場のオベリスクが見えます。
どの角度を見ても教会が。歩いてきたナツィナオーレ通り側を見てみる。
反対のエマヌエーレ2世通りを見渡す。
ヴィットリアーノの背面から眺めても教会がいっぱい。ローマは教会だらけ。
コロッセオをも見えた。
せっかくなので建物の中にも入ってみた。
トイレに行きたくなったけどヴィットリアーノのトイレは有料だと思うので、初めての有料トイレに少しドキドキ。
トイレの表示がなかったので、国立リソルジメント博物館(と思う)のチケット売り場で聞いて、トイレ前に座ってるおじさんに50セント払い無事にトイレ終了。
旅の間、あちこちのトイレを使ったけどイタリアの公衆トイレは日本のトイレよりもきれいだと思いました。
チケット売り場のイタリア人、二人ともおもしろい人で笑わせてくれた。
ヴィットリアーノ、圧巻だし眺め最高。そして楽しかった。
次に向かうはフォロ・ロマーノ、コロッセオ ♪
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