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06 (水)
23:55
May

インドの公衆電話とぼったくりインド人

インド行くと騙される、とか、ぼったくれるとか、たくさん聞いていたけど、私達は騙されることなく1週間旅をした。

夜遅くリキシャに乗っても、バスの手配をしてもらっても、良い人たちばかりで感激だった。
(多分日本人よりも優しいよ)

でも、旅最後にして「なんだ、インド人」ってコトが2回あった。
ひとつはインド最後の夜、アグラ駅で。
(この話は長くなるのでまた今度)
もひとつはデリ空港の公衆電話で。

私達は旅の途中で2人のインド人にすごくお世話になり、無事に移動できてるかどうか心配だから次の目的地に着いたら必ず電話してくれ。と言われてた。
と、いうことで公衆電話へ

空港の公衆電話はごくごく普通だった。
けど、お金を入れるところがない。
前の人を見てたら最後にレシートが出てきて常駐してる係に支払うらしい。

KhanとRajuに電話。
『何でジャイプルやアグラに着いた時に電話しなかったんだ。心配したんだ』
早速、まくしたてられ。
だって公衆電話ないし・・
公衆電話探す時間もないほどの超過密スケジュールだったし。
でも、2人とも電話があったから安心して喜んでくれた。
私達が行方不明になったら本気で心配してくれるだろうな。
優しい人達だ・・ 
出逢えて良かった。

で、電話を終えて支払う時のことです。
電話が終わると係のインド人がボタンを押してレシートが出てくるけど、そのレシート、インド語で何て書いてあるかサッパリ読めない。
そしたらさ、係のインド人から日本円で2000円超、請求された。
たった10分そこらで2000円??
高くても500円くらいと計算してたのに。
絶対、無い。
でも、そいつは「ここに書いてある、払え」みたいな感じ。
絶対、嘘 やん
でも、ここは空港だし、こんな公共の場所でぼったくる?
この人、一応役所務め、みたいなものよね?
払わなかったらやばいかも。
でも2000円はおかしいし、それにもうインドのお金1000円弱しか残ってなかった。
これは・・

絶対ぼったくりやろ。

ここは強気で!と思い返して「違う、これはおかしい」って、言って残りの1000円弱のお金を渡した。
「足りない」と言うインド人に「もうそれだけしかない」と言って、無視して歩き出した。 
追いかけてくるかとちょっと怖かったけど、追いかけてこなかった。

やっぱりぼったくりやん。
払わなくて良かった。
 空港でぼったくりするようなインド人置いといたらインドの恥やん~。

こいつがそのインド人(まだ子供みたいに若かった)


インドには良い人も悪い人も混在してた。

そして私はこの旅でインドが好きになりました 

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05 (火)
23:59
May

インドバックパッカーの旅 『インドの子供達』

旅7日目、すべての予定を完璧にこなした。

人とバイクとリキシャと自転車と車が交じり合う、何車線かわからない道路を、クラクションのパラララ~を聞きながらアグラ駅へ。

アグラ駅に着いたら、まず予約している列車の発車時間と乗り場を確認。
ここでも予約しているチケットと列車の時間が違ってて心配した。
(毎回毎回 どうなってるの??みたいな気分・・)

同じようにチケットと掲示板の表示が違って、インフォメーションを探してるヨーロッパ系の女の子がいたので情報共有したりした。
(娘が会話してるのを、横でわかってる風な顔をしながら頷くだけですが)

インドは、表示が違うとか、時間がずれるとかは、日常的にあるみたいでチケットに書いてあることがすべてではないみたい。
だから、必ず口頭で確認しなきゃいけない。
でも、確認しても人によって答え違ったりするし、ホントに疲れる。
(確認してまわったのは、全て娘でしたが)

時間は微妙に違うけど問題ないのがわかった。
じゃ、駅の渡り通路でしばし人間ウォッチングでもしようってことで休憩。

人眺めながら休憩してたら、すごく汚れたボロ布のような服を着て、肌もスス黒くて、髪もボサボサな3歳くらいの女の子が寄ってきて手を差し出した。

大きな目で無表情に手を出して「10ルピー」って言うだけ。
20ルピー渡した。
その子はお金を握り締めるとぷんって感じで走っていった。

次は向こうに座ってたヨーロッパのバックパッカー女子のところへ行って同じことしてたけど、バックパッカーは顔を上げないで無視。
そしたら、女の子の母親登場。前に立って怒ったような口調で何やら言ってたけど、バックパッカー女子は知らんぷりのままだった。

だって、そのバックパッカー女子、すごく疲れてぐったりしててきつそうだったのです。
そりゃ、そうだ、インドの旅って過酷やもん。
つい20時間前に脱水症状でふらふらだったのに元気を取り戻して人を見ながら、あーだこーだ言ってる自分のパワーに驚くや。
その元気、どこから出てるんだ??
我ながらすごい。

さて
その女の子見てたら悲しくなったのでした。
駅には外国から来たツーリストがいっぱいいるから、ツーリストからの物乞いで生活してるんだろうな。

アグラ城では、両足が曲がったままの障害を持った青年が、観光客用の門の前の道路の真ん中に座り込んで物乞いしてた。
枯葉剤で生まれたときから足が変形して、立つこともできない障害者をテレビでみたことある。日本だったら福祉で最低限の生活は保障されてるのに、インドでは自分のカラダを人に見せて物乞いして生きていかなくちゃいけない。
その時もとても悲しい気持ちだった。
その青年のお皿にもお金を入れた。

この旅の中で胸が痛くなるインドの貧しい現実を幾度も目にした。

でも、同じ駅の中にはこんな女の子も。
ネックレスにブレスレットにアンクレット 
このお洋服はかなり高価だと思う。とってもかわいくてまるでお人形。
両親とお兄さんの5人で楽しそうに歩いてて、家族の愛に包まれてるのがよく伝わる光景だった。
きっとかなり高いカーストの子なんだろな。
物乞いしてた女の子と大して歳は変わらない。
あの子はこんなキレイな服をまとった子を見て何を思うんだろう。
生まれた時から決まってる未来。
またも複雑な気持ち‥


こちらは親子連れ。
お母さんのサリーがすごく高価そう
このインド旅行の中で見たサリーの中で一番たくさんキラキラがついてた。


そしてこの女の子。
色合いといいバルーンスカートといいサンダルもかわいい。
笑顔がとてもキュートだった。
インドの服って色とかスパンコールがおしゃれだ。
私のスカートもインドで仕入れました。


お金持ちの子供と貧しい子供。
インド人と日本人。
生まれた国と生まれた家でこんなにも人生が違う。

今まで悲しく思ったり、人生がつまらないなんて思ってた自分はとても贅沢だったとよくわかった。。

本当にインドではいろんな事考えさせられた。


 

続く

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05 (火)
23:59
May

インドバックパッカーの旅 『アグラ城』

タージマハルで感動した後、『アーグラー城』へと行った。

アグラ城も観光客が多くて、もちろん客引きもうようよ。
どこに行っても、傍らにいつもしつこく話しかけ続けるインド人がいるわけです。
でも、1週間もいれば、付きまとうるさい客引きも気にならなくなる(笑)

アグラ城はタージマハルより66年昔の、1565年から10年をかけて造られた赤砂岩のお城。
タージマハルと違ってお墓じゃないよ。
普通に居城として作られたお城です。

アグラ城 アマル・シン門


城内はある意味自然動物園。
カワイイリスもあちこちにいた。


親子連れサルも。


奥の芝生ではリスが走り回ってた。めちゃカワイイッ。


キレイな緑色の鳥も。


城内はモスクや城内で働く人々の住宅まであるのでやたら広い。
いろんな景色あったけど疲れ果てててほとんど写真とらぬまま。。


1日観光で雇ったリキシャワーカーが、どこかの店へ連れて行こうと画策してて「1時間で帰って来い」って言ったけど、買い物なんかしたくないし。
うるさいインド人に寄ってたかって「これ、どう?」「これは?」「じゃあこれ??」って、よくわからない英語でひっきりなしに話しかけられるのも、勘弁してって気分。
なので、3時間くらい城の中をまわりながら写真撮って遊んでた。 
日本人が珍しいらしく、どこ行っても勝手に写真パシャパシャ撮られたけど、アグラ城ではそれがさらにひどくて、あちこちで「一緒に写真を」が続出。
それはある意味異常な光景(笑)
ここにアップしたのはその一部。




疲れを忘れたいが故のナチュラルハイ~~~だった。

アグラ城から見たタージマハル。


アグラは他にも観光する場所があるし時間もあったけど、もう、どこ行っても似たり寄ったりだし、タージマハルとアグラ城だけで満足。

いよいよ、旅工程も最終段階。
夕方、アグラ駅からニューデリー駅への列車に乗って列車の座席を確認せねば。
夜、デリー着、ホテル探して寝てうまくホテルが見つかるかな・・
翌朝、空港に行けばあとは飛行機に乗って飛行場までの交通手段を確保しないと。
バンコクで7時間待ち時間潰して。
7時間か~ 長いな~。
な~んてえらそうに書いてるけど、交渉するのはすべて連れの娘なのでした。
へへへ

考えるとまだいっぱいすることがある・・とも思ったけど、この旅思う存分楽しかったし、残りの交渉ごともこなしていけるだろうっと、めちゃ満足してアグラ駅に向かったのでした。

さて、インドから帰国して2ヵ月半となるのにまだ終わってないこの旅行記。いい加減終わらせたいのので半分無理やり更新(笑)


続く

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05 (火)
23:58
May

インドバックパッカーの旅 『タージマハル』

旅最後の観光日は世界遺産「タージマハル」へ 

この日はめっちゃ暑かった。
気温48度 
何もかもが暑い 

そんな中で見たタージマハル。
絶対観るべき。感動しました。

 ムガル建築の最高傑作ともいえるタージマハルは、1631年から22年間の歳月をかけ1953年に完成。
1983年に世界遺産に。
(娘が生まれた年だ)








人もめちゃ多かった。入った瞬間にこの多さ。


インド人だらけ。
日本人は一人もいない。
欧米の観光人が少しだけいた。


インド人が不思議そうに私達を見てた。
インドで日本人を見る事は一生に1回あるかないかの珍しさらしい。
ここでもジロジロ見られてた。
至近距離で見られるから笑顔で『Hello~』なんぞ言ったけど無視(笑)


タージマハルは偉大だ。
でも、これお墓よ。
あの白い建物の中心にお棺が二つ置いてあった
それだけの為にこの建造物。
それだけなんて、言っちゃけないけど。

ピラミッドもそうだし、昔はすごいね。


続く

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05 (火)
23:57
May

インドバックパッカーの旅 『深夜バスとアグラのHotel Reajency』

インドの長距離バスについてちょっと書いとこう。

2階に寝る部屋があるのってこんな。
(写真はジャイサルメールから乗った時のバス)
ジャイプルから乗った深夜バスは引き戸じゃなくて、カーテンで仕切るタイプだったので外から覗かれる心配あり。
(実際、娘は手を握られた)
1階座席はこんなで狭いのよ。
ここにインド人がびっしり座るわけ。
ACもないベタベタの車内で、夜6時間座るのはダメージ大だわ。
2階に敷いてあったマットはベタベタでざらざらだったけど、どうってことないです。
しかし、もちろん眠れません。 
連れの娘はわりと良い感じで眠ってたけど。
この娘、どこででも寝れるよなーったく誰に似てんだろ?
あ、元ダンナ。あいつもどこでも寝てたし(笑)


インドの深夜バスの感想。
 ①バスはず~っとガタガタと上下に揺れてた。
    舗装されてないでこぼこの砂利道走ってたと思う。
②そして昼と同じようにクラクションをしょっちゅう鳴らしてた。
    音は響くし1回の長さ長いし・・ 
    あれよ、日本で言えば暴走族のパラララパラララです。
③途中、もんのすごく大きな音量でインド歌謡曲を流してる広場で止まって休憩してた。
    夜中にこんなうるさい場所で運転手休憩か??30分も。
    夜中なのにたくさんのインド人がいて、気が狂いそうなくらいうるさかった。

ひとまとめの感想は『サイテイだ』もう絶対乗らない! 
乗ることもないけど。

バスはめずらしく時間通りにアグラに到着。
着いた時も乗るとき同様『アグラだ、降りろ、降りろ』と、せかされて。
アナウンスなんて無いよ。
バスが止まった?と思ったら早く降りんかいッ!!って感じ。

バスを降りたところにたくさんいたリキシャにホテルまで連れて行くように交渉。
夜中4時でも働き者なリキシャワーカーがいっぱいいました。
こんな真っ暗な夜中に、インドのどこかもわからない場所で、他に外国人なんて一人もいない、現地のインド人しかいないこんなとこに日本人の女2人。
殺されても不思議じゃないなーと思った。

だけど、無事に朝5時にホテル着。
すぐに、ちょろちょろよりちちょっとだけマシな、水ではないぬるま湯シャワーでお風呂に入りとりあえず2時間仮眠。
(寝た気しなかったけど)

モーニングは美味しかった。
6日ぶりの卵料理に、6日ぶりの冷えたジュース。
それだけで超シアワセだった。


でも私は前夜の脱水症状の結果、もんのすごくゾンビのようにゲッソリになってたのでした。

これが1泊1800円のリジェンシーホテル。
旅も残り1日。7日目です。


今日は世界遺産『タージマハル』を観に行かねば。
 

続く

ていうか、インドから帰って既に2ヶ月経過してる。

 

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04 (月)
23:59
May

インドバックパッカーの旅『ジャイプルのインド人 RAJU』

今日は、ジャイプルで起きたハプニングと、リキシャワーカーの『RAJU』のコトを書きます。

6日目の夕方、ジョードプルから飛行機に乗ってジャイプルへ。

国内線飛行機は思ったとおり小さくて、よく揺れた。
揺れと疲れと食べてないので、普段酔わないのに飛行機いした。
 ジャイプル着いた頃には疲労蓄積と栄養不足で一気にふらふらに。
連れの『娘』が、インフォメーションでバス乗り場とか予約状況を確認してる間、ソファで気分悪くてへたってた。
空港からバス会社に電話したら、私たちのバスの予約とれてないって言われて、どうしよ的な状況になったけど気力、体力共に尽き果ててしまってたのでした。

とりあえず、バス乗り場まで行こうってことでリキシャに乗って移動。
ジャイプルはデリより車が多くて、立派な建物ばかりで町が進歩してた。
道路に牛がいない。
牛がいない道路を久しぶりに見たよ(笑)
その分、町の音がうるさくて埃、排気ガスだらけで視界が灰色に見える。
バス乗り場着いて予約を確認したけど、やっぱり予約はとれてないらしく、20時発アグラ行きのバスはもう満席で乗れない、とのコト。

インドに来て初めて、計画通りにいかない場面にぶち当たった。
しかも夜だし、ジャイプルはデリみたく観光地化してないので、私たちだけじゃどこがバス乗り場かわからないし、チケットを買う場所も絶対わからない。
日本みたいに代理店ですってわかる看板もないし、バス停もない。
もちろんバスの乗り方とかいう詳しいガイドブックもあるわけない。
だから、普通はツアー会社に手配しての旅になるんだろうね。
その上、私は体調不良で思考能力ゼロ。
バスに乗れないってわかっても考えたくないし体動かす気力もない・・。
ものすごく、ものすごく、ものすごく 死にそうにきつかったのよ。

この夜、私たちが無事にアグラーに行けたのは、空港から乗ったリキシャワーカーRAJUのおかげだった。
RAJUは空港で交渉したとき、予想していた額の何倍もの金額を言ってきた。
いやらしいーこのインド人って思ったけど、バス乗り場まで思ったより遠かったのと、ジャイプルはジャイサルメール、ジョードプルより相場が高いのが街を見ててわかったので、後でふっかけた訳じゃないってわかった。

RAJUはバス乗り場着いたら一緒にチケットの確認をしてくれて、乗れないことがわかったら他のバス会社をあたってみようって連れてってくれた。
リキシャで10分ほどの別のバス会社もその夜のアグラ行きは満席でダメ。
もう一つバス会社があるからって違う場所へ。
3つめのバス会社でやっと22時発のアグラ行きに乗れることになった。
この時、21時。
19時に空港でRAJUと会ってから、すでに2時間経過。

ここで待っていればバスが来るらしいけど、RAJUが帰ってしまうのはちょっと不安。
今ジャイプルのどの辺りにいるのか全くわからないし、バスが本当に来るのかも不安・・。
と、思ってたらRAJUが「バスに乗るまで見届ける」って言ってくれた。

そしてやっと22時発のバスが来た。
私たちは2階の寝台ルームを予約してたんだけど、荷物持って乗ろうとしたらドライバーから荷物は持って行けないからトランクに入れるように言われた。
バスのトランクなんか入れたら危険やん。
盗まれる危険性がある。
2階の部屋なら持っていけるはずなのに・・。
そう思いつつもインド語で「早く入れろ」みたいにわめかれるから入れようとしてたら、RAJU登場。

「この子達は2階のチケットを買ったんだ。荷物は持っていける」 てRAJU。
「いや、違う。この2人は1階の座席に座るんだ」 てドライバー。
「何故だ!? このチケットは2階の寝台ルームのだ」 てRAJUが抗議。
「いや、違う。 1階だ。早く荷物をトランクに入れろ」 てドライバーが言い返す。

どうやら、私たちは2階チケットを買ったにも関わらず1階の座席に座らせられるらしい。

このバス、アグラに着くのは朝の4時。
1階の座席っていうのは、普通の路線バスのようにぎゅうぎゅうでリクライニングもないようなやつ。
なんでやん・・やっぱりインド。
日本人だから何も言えないだろうってことか・・。

そのうちRAJUが大きな声で「何言ってんだ!この子達は2階のチケット持ってるんだ、2階に乗せろ」みたいなコトを怒鳴り始めた。
(娘訳、私には何を言ってるのかサッパリ・・)
それからドライバーとケンカみたいに怒鳴りあいだして、聞いててちょっと怖かった。
それで、ようやく私たちは2階の横になれる部屋に荷物を持って上がることができたのでした。

RAJUがいなかったら私たちはお金払ってるのに、狭い狭いシートでインド人に囲まれて6時間、朝の4時まで乗っていただろう。
その前に、その夜アグラー行きのバスに乗ることも出来なかっただろう。
その夜、アグラに行けないってことは翌日のタージマハルにも行けなかったと思う。
インド人て騙すばかり、とか、お金ぼったくりするとか、用心してたけど、こんなに親切なインド人もいるんだって、ものすごく、ものすごく、ものすごくRAJUの親切が嬉しくて、最後、お別れするとき泣いてしまった。
日本人でここまで親身になってくれる人っているんだろうか?
RAJUは、日本人が忘れてる『優しさ』を思い出させてくれました。無償で。
その気持ちがとっても嬉しかった。

インドでの忘れられないことBEST3に残るRAJUのお話でした。

これから ジャイプルに行く予定がある人RAJUを紹介しますのでヨロシク。


RAJU 本当に本当にありがとう*

続く

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